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田舎暮らしの健ちゃんのページです。
健ちゃんの趣味のお話です。
聞きたくないか。でも聞いて!!
趣味が多すぎて困っています。
左側の2本の竿と電池
何年も前に使った
船竿と電動リール
未だ問題無く使用
出来ます。
右側の2本の竿の件
最近は投げ竿と
スピニングリール
のみ使用してる。
☆ 釣り 山国育ちなので
海釣りが好きです。
うんんん??。まあまあ。
最近は堤防から豆鯵を釣るだけで
満足してます。船は酔うから駄目です
山国信州からは海に行くのは結構大変
ですので、回数は非常に少ないです。
年に3~4回が限度かな太平洋へも日本海へも片道4時間近く掛かりますね。
☆ 車と言うかエンジンの
付いている物は何でも好きです。
車が2台、バイクも2台、使うかどうか
不明な発電機や草刈機、チェーンソウ
エンジンポンプ、エンジンウェルダー
まで持っています。エンジン好き過ぎ
ステアリングとシフトノブはウッドに変更してあります。
幌がついに破れて雨漏りの為
新品に交換したらECUが壊れて
そろそろ寿命が近いのか?
もう25万Kmも走っているし
白煙も吐く様になって迷惑を
掛けています。御免なさい。
でもまだまだ走り続けますよ。
S660はビート程カッコ良く無いので、変更予定は無いよ。
性能は圧倒的に凄いんだけどね
残念ながら生産中止らしいし。
自分が小さいせいか何でも小さい物が
好きです。バイクはモンキーだし、
車はビートバージョンFです。
ついに、恐れていたECUが壊れた。
自分で直そうと思ったが、念の為、
ビートガレージで直して貰いました。
お陰で調子良くなりました。
昔から特にホンダが大好きです。
もう1台はフリードですが、足回りも
室内のサイズも不満で失敗でした。
小さい車が好きでもポンコツな旧ミニ(ADO15)は嫌いです。高校時代にミニと設計者のアレック・イシゴニスを知り、余りにも高い評価が納得いかず、悪口ばかり言い続けたが、乗らずに悪口言うのもと思い、
ミニ30と言う30周年記念モデルの中古に6年乗ったがトータルで3000Kmも走らなかった。やはり生まれながらにしてポンコツ以外の何物でも無かった。
BMWの設計したNEW MINIは好きですね。
モンキーとエイプ100と言う2匹の猿が
私の相棒のバイクです。
モンキーは昭和48年に購入の、
Z50Z型ですが、今も元気です。
☆ オーディオ機器 それも
少し旧い奴が好きです。
未だにカセットやMD、CD録音も
欠かせません。機器が古くなってしまい
故障が増えました。何でも聞きますが、
JAZZと演歌が特に好きです。
ソウルミュージックと言う点が共通です。
歌手や演奏の音域の広さもポップスとは
違いますね。演歌歌手は総じて上手です。
最近のポップスの演奏は楽器と言うよりは
デジタル音源や、一度録音して保存した
音をスピーカーで再生し、それを元に再び
録音したような不自然な感じがします。
昔 良く言われた、音楽を聴くのでは無く
音を聞くと言う感じですね。演歌は未だ
楽器で演奏している感じですね。
オーディオでも小さい物が好きなので、
ボーズのスピーカーが大好きです。
お陰で、部屋中和尚だらけです(笑)
101シリーズは略全機種確保しました
日本人が設計に関わったとも言われます
何でも大きい方が偉いと思っている様な
アメリカ人の発想とは思えませんもんね
左から301、101MM,101ITです。
写真以外の101群も沢山有ります。
5,1チャンネルも登場当時からBOSEの
LS-12を購入した為、スーパーウーファーの魅力に嵌って、101シリーズにもこれを追加して重低音を堪能しています。
一寸JBL風の低音になってしまいます。
ボーズはエッジの痛みが少ないのに、
ジムラン(JBL)は何であんなにエッジが
駄目になるのでしょうね?不思議です。
こちらも悪口ばかり言っていてはと、
CONTROL-3PROの程度の良い物をヤフオクで購入して、BOSE4702-ⅢにBOSE-101
MMGと比較視聴していますが、ボーズの方がしっくりきます。ジムランは女性の
ボーカルがどんなに調整してもキンキン声に聞こえます。
ボーズが好きになった元はこのマランツ#7です。約50年前のスピーカーで、ほんの数年だけ作られたMade in USAの物です。ジェームスバローランジング
通称JBLのだらだらした低音とは一線を隔すどっしりと締まった重低音が、
いかにも後出しと言う感じで気に入って居ましたが、非常に残念乍ら間もなく
生産中止となりました。名古屋に有るヤマハビルで、当時マランツ最大級の、
#500と言う片CH250Wステレオで500Wの最大出力を誇るパワーアンプでJAZZのレコードを聞いたのが、購入のきっかけでした。当時の輸入業者は
マランツファーイースト(極東マランツ)でした。改名して日本マランツです
その後、ボーズの音を聞いた時に似た感じがして、それ以来同じ様に締まった
重低音と煌びやかな高音まで澱み無く出してくれるボーズのスピーカーが、
好きになりました。一方のマランツ#7はと言うとスポンジ状のグリルは
10年とは持ちませんでしたが、日本マランツさんが半年ほど掛けて探して
くれましたが、何処にも有りませんでした。日本マランツさんあの節は親切に
探して頂きまして本当に有難う御座いました。アンプは今もマランツです。
最も、最近はボーズのアンプも増やしました。ボーズ同士は相性良いですね。
#7も未だ元気で鳴ってます。御覧の通り色はやつれてしまいましたが。
ボーズが出始めた頃は近くに販売店が無いので、たまたま名古屋の販売店から
手紙が来ていました。知人を介して購入したマランツ7だったので、何処から
購入したか不明でしたが、多分そこからの手紙だと思いボーズの購入の可否を
確認すべく返事を出したところ、音を聞くならボーズでも良いが、音楽を聴く
には不向きと言う返事が来ましたが、名古屋の店がその数年後ボーズについて
音楽を聴くには最高のスピーカーだと言う記事を見て、テメエふざけるな!と
思いましたが、ボーズを選んだ事は正解だったと改めて思いました。
最近、マランツのCDプレーヤーのCD-34とCD-94リミテッドを修理してみました
CDが出始めの頃のプレーヤーですが、共に今時の物に負けない位良い音です。
特にCD-34はフィリップスのベルギー工場で造られた物で、フィリップスの、
CD-104と同じ物です。当時はマランツが、経営不振でフィリップスに買収を
されていたから同じ物が、両ブランドで出ていました。出た当時から評判の良いプレーヤーでしたが、今再生しても音の良さは、変わっていない気がします。
マランツセブンと言うスピーカーはと言うと、
こんな感じのスポンジグリルが付いていました。
マランツインペリアルシリーズと言う名前が
付いていました。アンプと違ってシンメトリー
では有りませんが、縦一にユニットを並べた
タイプが多かったですね。
普通の人は、マランツのアンプにジムランJBLの
スピーカーを組み合わせますが、変わり者の私は
JBLが開発した シンメトリカルT型サーキットと言う回路を持つ自作のアンプでマランツ7を
鳴らしていました。但し今ではアンプもマランツのステレオアンプPM-94とSR4200と言う少し古いAVアンプです。
当時マランツはスピーカーは初めてで、米国カリフォルニア州サンバレーに有る
マランツハウスで1から作りましたと言う振れ込みで#4~#9まで6機種有り
#4の20cmウーファーの2ウェイから始まり #9の12インチ(30cm)
ウーファーを用いたフロア型まで一気に作りました。#7はブックシェルフ型では最大となる奥行きのある30cmウーファーを用いた3ウェイ構造の物です。
ツィーターは特殊構造の全機種共通で、エッジレスタイプと呼ばれる物でした。
独特の音を出す自動ピアノらしいですが、ブリリアントチューニングをご存知
ですか?で始まるカタログのコピーも粋な感じでアメリカらしく洒落てました。
ブリリアントチューニングでもオーケストラでも忠実に原音再生しますと言う
事ですね。アメリカ製のスピーカーの特徴は、技術的には大したことの無い構造でも思いの外良い音が出ることですね。更に、両社の創業者であるところの
ソウルバーナードマランツ博士とアマーゴーパルボーズ博士が共にアメリカの
頭脳と呼ばれている MIT マサチューセッツ工科大学 (マサチューセッツ
インスティチュート オブ テクノロジー)の教授だった事も加わり、好きに
なるきっかけでした。更には当初ボーズは外工を持ちませんと宣言していたけれど、あまりの人気に世界中に外注工場を持たざるを得なくなり、ボーズ社が大きく成り過ぎて、自分では社長が出来ないと悟ったアマーボーズ氏は本田宗一郎さんの様に後進に譲って潔く退いたのも好感が持てます。こんな人生が送れたら。
☆ カメラ 写真とビデオの撮影
フィルム式1眼レフカメラは、父親がオリンパス関係の仕事をしていた為、
初めはオリンパスOM-1を愛用していましたが、ある日雑誌で聞いた事も無かったCONTAXと言うブランドを知りました。PENTAXと似ているので、国産メーカー?
と思っていましたが、全く違う事を知り、以降はコンタックスの1眼レフカメラと、コンタックスのボディーメーカーであるヤシカに変更しました。
CONTAXはドイツのツァイスイコン社が発表した当時最高峰の1眼レフカメラで、
デザインをオーストリアのポルシェデザイン・・あのドイツの高級スポーツカー
ポルシェの生みの親フィルデナントポルシェ博士の孫のフィルデナントピエヒ氏
が創設したデザイン会社が設計を担当し、日本の八洲光学・・ヤシカがボディー
製造を担当し、大判カメラで有名なドイツのハッセルブラッドのレンズメーカーである、カールツァイス財団がレンズ製造を担当すると言う3国共同体制で
生産されていました。使用フィルムはアメリカのコダックが特に相性が良く、
綺麗に映る物でした。高級品だけにカメラもレンズも高価で有り、簡単に買える
物でも無いので、あまり数多く集める事は出来ませんでした。
デジタルカメラに変更時は、それまでのコンタックスヤシカマウントから
新しいNマウントと言う全く互換性の無いマウントに変更された為、すべてを
買い替えなければならないので、更に高価になり、多くのユーザーが離れて
しまいました。勿論私もその一人です。とても高くて買えませんでした。
その後、ツァイスのレンズを使用したデジカメがソニーから発売されました。
ヤシカが京セラに買収されて京セラブランドとなっていたツァイスのレンズを
ビデオカメラに採用していたソニーがデジカメも出してくれたのです。
コニカミノルタも買収したソニーは両方のレンズを上手く振り分けて多数の
ユーザーを取り込んでいます。ソニーは商売の上手な会社ですね。
話は違いますが、ゲーム機に参入した時にもゲームの将来性を良く見ていた
会社ですね。それに引き換え、私も所属していたNECと言う会社はいわゆる
親方日の丸主義の古臭い企業体質で、ゲームなんてNECの看板に泥を塗る様な
物だと、いち早く開発したCDロム方式のゲーム機でも有った、PCエンジンを
物の見事に潰して呉れました。今頃はソニー製のPSプレイステーションや、
任天堂スイッチの成功をねたんでいる事でしょう。
当時の新日本電気も富士通のように親会社を食ってしまうような会社だったら
PCエンジンも成功しただろうにね。とかく日本電気は新日本電気を嫌っている
のか何かにつけ親会社の権力を振りかざしてくる会社でした。分社化も迫り、
NECーHEと関西日本電気に分けられ、益々楯突く事を防いでいる様でした。
話を戻して、デジカメですが、銀塩カメラと違ってワクワク感が無いと言うか
あまり凝らなくなりました。一応ソニーのツァイスレンズの物と同じくドイツ
レンズであるライカを使用したパナソニック製の物、京セラのと有ります。
そして最も性質の悪い趣味が、何でも
集めて、古くなっても捨てる事が出来ず、
いつか直すとダダをこねる事
その結果、物があふれる生活が
続いてしまっています。困った事に。
車庫は、車庫と言うよりは物置です。
しかも使わない物が多すぎ。
断舎利せねばなんめえぞ。
もうお解かりかと思いますが、
健ちゃん結構のオッサンです。
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